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虹の向こう側

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天命

またまた、「天命」について考える今日この頃。私は常日頃こんなことばかり考えているな^^;)。64卦で言えば「天雷无妄(てんらいむぼう)」という、天にがむしゃらに向かって吼えている獅子のような卦を持つ私なので、これはもう生まれ持っての性癖だから仕方ない・・・。

以前、持っているカバンの中身や本の内容まで当てるという易の凄い先生に、「私の天命を教えてください」と聞いたことがある。先生曰く、「沢山の人が自分の天命を聞くけど、私は本当に天命なんてあるのかしら、と思うのよ。実際、虫けらのような人には虫けらのような答えしか出て来ないのよ」。と辛らつな言葉だった。私は、そんなもんかなあ・・・、でもその言葉を言葉通りに受け取ることが出来なかった。自分の天命を聞くという行為自体、それはとてもピュアなことだと思うのだ。天命はこの世の成功とか達成とか世俗的なこととは離れ、神様と魂の契約というか、この世での課題というか、霊的な成長に係わることだと思うのだ。だから「虫けらのような」天命というのは私は存在しないと思う。きっと天命を聞いたその人のその時期にまだもっとも深いところの本命・天命が明かされる時期ではなかった、ということなのではないか、と思う。

その後、私の天命を立ててくれた先生曰く、「あらっ、出る人にはちゃんと出るのね」。私の天命は言わずもがな、「人と天を繋げる」ことなんですが、魂に準備が出来た時にそれはちゃんと明かされるのでしょう。しかし・・・、魂に準備が出来るのと、自我の認識とはまた別のようで^^;)、「わかっちゃいるけど、なんであたし???」っていうところで悶絶するわけです。自分でも易を立て始めて、たくさんの人の天命を見て来たけど、生きることに純粋で自分探しを真正面からやっている人程、本来自分の魂が求めている道を示されて悶絶する人が多い^^;)。

悶絶しながら、それでも人間死ぬときにはちゃんと天命を生きたという証が示されるようです。天命をひたむきに生きた人の顔は死んで尚、白く輝いている。今までの体験で言えることです。

だからもがきながらもやるしかないの。というか、やらされるわけです。

どうせやるんなら楽しく、ね。死ぬ瞬間に天に向かってニッと笑いながら「やっといたから!」って言いたい。
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by serendip888 | 2007-10-25 02:55 | 独り言
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