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虹の向こう側

shasta.exblog.jp

死ぬ事への自覚。

今日はお天気がよかったので、家の周りのトレイルをゆっくりと散歩した。我が家の周りはサンフランシスコベイに続く湿地帯で野鳥保護地域になっているので、たくさんの野鳥が気持ち良さそうに羽を休めたり群れをなして飛んでいる。空が広い。世界は平和だ。すれ違う人達は、「I want my bike to fly!」コノジテンシャソラニトバシタイ!とか「I'm happy!」ワタシシアワセ!とか、夢や希望や愛でいっぱいである。ああ、なんて幸せな日常の一瞬。アタシはひとりでこんな土手の散歩道をてくてくと散歩するのが好きだ。両脇にはカレーみたいな匂いのする雑草や奇麗に植えられた水やりの花々が咲き、ベイの向こうにはシリコンバレーの山々が連なる。よく、肉体を忘れて生きている感じに捕われるけれど、今この瞬間、自分は生きてるんだなあ、としみじみと感じる。後、何年こうやって生きるんだろう。そんなことを考えながらこの平穏なベイエリアで暮らしている。そう言えば、私はいつも生を逆算して生きているなあ。後何年?

易の鑑定が終わった後に、石井先生から興味深いお話をいろいろと伺うことが出来ました。それは死後の世界のこと。先生は小さい頃から霊の存在をよく目撃することがあって、それでも死後の世界があること等あまり信じられなかったとか。そんな思いでいたら、近年、ある霊の存在からかなり強烈なアタックを受けて、日常生活に支障をきたすような事態を体験されたとのこと。その話はあまりにも怖いので、ここには書きませんが、人間の生への執着というものは肉体を亡くしてなおかつ、それは生きていた時以上に魔の力となって存在するもののようです。石井先生はその体験から、人は如何に死後の世界のことを意識してこの世を生きるべきかを実感されたそうです。自分の死を自覚せずに死んでいく人は、死んでなお、この世にしがみつく。この世に執着を残し、行くべき光の世界へたどり着けずにいる。そういう霊がたくさんいるそうです。人は必ず死ぬということ、ひとつの生が終わったら、魂は「あの世」と呼ばれる場所へ行き、次なる次元に向かうこと。それを肉体を持っている間に強烈に意識して生きることが大切だと思うのです。どう死ぬか、そして死後の世界までも考えておく事が、生を全うすることだと思うのです。どう死ぬか、というのは心の問題で、死を迎えるのは、病気だったり、事故だったり、老衰だったり、いろいろだけど、元気なうちに、死ぬ瞬間の心構えを思う事がとても大切だと思うのです。

私の両親は死を通していろんなことを教えてくれました。母は6年間病院で生命維持器に繋がれて生き、最後は自力で体から魂を抜けて行きました。父は入院して10日後にあっけなくこの世を去りました。ふたりともあっぱれな死に様で、娘の私は両親を拍手でもしたいくらいの感動と共に見送りました。人は誰でも肉体の死を迎えます。それは春夏秋冬のサイクルと同じように。でもまた魂の春夏秋冬が続くのです。人は死んだら財産も肉体も何も持っては行けない。でも生への執着という思いを抱えたまま逝く人が多いのでしょう。この世でやり残したこと、やり切れなかったこと、残した思い。あの世に逝く時にそんな執着を持って行くと、魂は生きている時よりももっと苦しい、辛い状況に足止めされてしまうようです。人は生まれる時もひとりで、死ぬ時もひとり、そして魂というエネルギー体として全てのものと繋がっている。私はそう思っています。だから、人として生きる時は孤独で、死してひとつに帰っていく。死は決して寂しいものではなく、癒しなんだと思うのです。死は、この命を生き切って、まっさらな思いでその瞬間を迎えた者が手にする卒業証書。どんな生き方でもまずは「生き切ること」。それが死を迎える上で一番大切なことではないか、と思うのです。

しかし、霊との対決という壮絶な体験を通して、石井先生は易の力を強められたそうです。やっぱり何よりも強いのはまっすぐに天に繋がる信念の力なのですね。

みんな、成仏しましょうね^^。
by serendip888 | 2009-11-30 03:19 | 出会い
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