我が家の祭壇に父の写真が加わりました。母と一緒にお花畑の真ん中の籐の椅子に座っている。これが私の手元にあった唯一の父の写真でした。まるでこの日を待っていたように用意された写真。全てはちゃんと計画されているんだ、きっと・・・。
それにしても父の死は多分私にとって人生が引っくり返るくらいの大イベントだった。私が生まれて来た意味は、きっと父の最期の瞬間に父と手を握ること、だったのではないか、と思う。その瞬間、この世は全て光に変わった。私は決して子供を作らない、家族を作らない、と子供の頃から決めていたのは父親として一人の男性として父の存在を拒絶し続けた私の信念だった。でももしかしたらそれは私が私という人間を創るために私が選んだ道だったのかもしれない。父は父でその時を必死に生きてきた。
生きることは大変なこと。自分が命の木の中の何処にいるのかわからないうちはほんとに苦しい。
でも人は死ぬ瞬間、その命の木の存在に気づく。父と私が手を繫いだその瞬間、命の木が脈々と波打った。「ああ、お父さん、あなたが居たから私が居たんだね」って。「私の父で居てくれたこと、ありがとう」って。父の存在、全てが光になった。今まで真っ黒だった碁盤の上の目が一気に真っ白になった。そんな瞬間がやってくるなんて夢みたいだった。
お父さん、あたし今とっても楽になったよ。自分が大好きになった。私を生んでくれたこと、ありがとう。反面教師でいてくれたこと、ありがとう。お父さんから大切なものもらったから、私はそれを自分の中で大きく暖めて育てて、命の木を繫いで行く。